久々にブログを更新します。

 

およそ一年前に投降したきりのご無沙汰です。

 

急にブログを更新する気になりパソコンに向かいました。

 

「手帳ブログのススメ」=「シゴタノ!」管理人大橋悦夫/著を読んだのが

 

きっかけです。

 

大橋さんは人のためより自分のためにブログを書きなさいと説いております。

 

最初から「多くの人の役立つブログを書こう!などと意気込む必要が無いと言っており

 

ます。

 

これで気分が楽になりました。

 

自分のためと思いながら読者を意識している文書になっています。

 

この点が単なる日記と日記ブログとの違いとも説いておられます。

 

日記ブログは誰かが読んでくれているという意識が励みになると。

 

とにかく更新。

 

明日も投稿できますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大橋さんは他人の目を意識するかしないかが単なる日記と日記ブログ

花粉症と一人のお医者様の栄枯盛衰

 私が自分の花粉症に気づいたのが、30代後半、今からおよそ40年前であった。

 最初は整髪料のせいかと疑い、色々変えてみたが症状は収まらず、特に鼻水が止まらずトイレットペーパーを抱えて歩きたいくらい、ひどかった。

 

 その内、ニュース等でスギ花粉が原因と判明、耳鼻科と眼科に行き、薬を処方してもらい飲んだが、多少症状が軽く感じた程度で目の痒さは収まらず、鼻水が絶えず出て辛い日々を過ごした記憶がある。

 

 特に酷かったのはお酒を飲んだ時で、目が猛烈に痒くなり、氷で冷やしても駄目で目玉を取り出して洗いたい衝動に駆られたほどであった。

 

 鼻呼吸が出来ず、微熱があり、ぼおーっとして集中が出来ず、風邪に似た症状に耐える日が続いた記憶があります。 

 

 ある時、口コミで注射一本で症状が収まり、一シーズンそのままで過ごせると聞き、その医者を調べ、その病院へいった。

 その病院は、医院という感じであったが、2時間待ちの感じで大変混雑していました。

 

 医者は野茂選手から教えてもらった治療法でと、自慢げに多少の宣伝をし、下着を半分ずらし、臀部を半分むき出しにさせたうえで、太めの注射器をズブリと射した。

 

 治療はそれで終わりで、実際症状は収まり、そのシーズンはそのまま何もせず快適に過ごせた。

 

 花粉飛散の時期を快適に過ごせるのでその医者には20年余ほどお世話になった。

 

 その医者は当初は押すな押すなの盛況であったが、ステロイド系の薬であったらしく段々客数が減り、一時は大きなビルに医院を移した時もあったが、終には別の医院に間借りをしたりして一昨年あたりから行方知れずと

なってしまった。

 

 それで私は近所の町医者に、飲み薬と目薬を処方してもらっているが、歳のせいか薬が良くなったのか、目に多少に痒みを感ずる時があるくらいでまずまず快適に過ごしております。

 

 スギ花粉症の縁で一人の医師の栄枯盛衰に立ち会わせて頂きました。南無観、南無観。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行雲流水ー初めてのブログ

 

 72歳でブログに挑戦です。88歳まで生きる予定です。

 父が79歳で亡くなり、母は99歳で存命中で、合計して2で割れば89歳ですが

88歳がゴロが良いので88歳と決めました。

 

 後16年、長いようで短い16年、このブログが続けられればかなり充実した人生と

なると思い決意した次第です。

 

 妻と二人の生活で、妻はテレビの娯楽番組のファンで、私がパソコンにへばりついて居て、邪魔にならない状況に満足しているようです。

 徒然なるままに思いの丈を綴ろうと思っております。